金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

多様性が死んだ恐怖社会

最近特に皆の意見が同じになり、思想でも考えでも多様性がなくなってきていると感じますね。

皆と違う意見を言うことを極端に怖がる。

なにかにつけ思想統一へ社会が雪崩をうつ。

それを社会のモラルが定着しているとみる向きもあるが私はそう思わないんです。

安定した社会とはいろいろな意見や考え方があってしかもどうであれ他者を尊重できる世の中のことだと思うから。

それが私が思う安定した自由で平等な社会だ。

f:id:konjichoin:20191228065824p:plain

違う意見はすぐに攻撃する。異分子の排除。

ブログの炎上とかはそれだろう。気にいらないとよってたかってふくろだたき!

まあ、民間の憲兵隊がいるようなもんだね。

言われた方のすぐに謝ったり、弁解や説得しようとする。

本当にそう思うならそれも必要だが、思わないならいらんわ。そんなもん。

 

こうした傾向は世の中に多弁で小才の利く世知辛いリーダーを作るが、それ本当には安定した安心な世の中にはならない。

コーチングの勉強で知った「ブレインストーム」という会議のやり方がある。

他者を攻撃せず自分の主張のみを自由に展開する。

攻撃されないからどんな意見も言える。遠慮はいらない。

こんなことを言えばすぐに何を言われるかわからない・・・という場にしないための工夫。いいたいことがいえる。

他者を攻撃し論破する会議だと結局口の上手なものの天下になるだけだ。

どの船は沈む船かいち早く見抜いて、沈まない船に乗り換えるということに躍起になるだけだ。そうでないとバカ者よばわりされる。

本題はどっかに言って保身の場と化する。

そんな企業は終ってるね。

 

企業の会議だけじゃない。たとえば「言葉狩り」なんていうのもこの類だと思いますね。

以前ある原稿を頼まれ、文中「障害者」と書いたら「障がい者」と原稿書きかえてきた。

「今は障害者の害はそういう方を「害」のある人間のように見なす言葉につながるからその表記はうちではしないんです。」とかいう説明でしたが・・・。

気に入らないのは世の中では皆それがもう常識なのだ!というようなことを言ってきたのでカチンときた。

「わたしは無論そういうつもりで書いてないが、そういう説明は意味ある説明とは思わなわい。愚にもつかぬ因縁付けのようなものでなんの説得力も感じない。何よりそんな意見に同調するのが私は嫌です。どうしてもそのように書かねばいけないならもうおりるわ。」と言って降りたことがある。

無論百歩譲ってそういう意見もあっていいだろう。それはそいつの意見だから勝手だ。

だが、それを押し付けられるのは嫌だね。

「そんなこといわずに・・・」と言われたがこれは信念の問題なのであきらめるようにいってやめた。

だってねえ、」これを飲めばそう言う考えが蔓延するのに助勢することになるから・・・イヤです。

 

今の世の中は自由な言論は死に。聞こえはいいが「民主主義」とか「人権」とかいう大義名分での恐怖支配になってるように思う。戦争中の「一億玉砕」もたぶん当時としては常識でしたね。

英語の歌なんか口ずさめば非国民。

 でも実はどっちの頭脳構造も同じような気がする。

 

太平洋戦争は日本政府や軍部の横暴が招いたという人は多いけど…イヤイヤどうしてこういうところ見ると国民だってあおったでしょうよ。衆愚の横行するところに民主主義はない。