金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

三毒を除いて生きる開運法 1・貪りをはなれる

運気をよくする三毒を除く生き方

仏教の戒はただの道徳ではない。

実は貪瞋痴を除くことで人生は大きく改善されます。

 

貪らないということ。これは同時に余裕を持つこと・がつがつと吝嗇な心はどこまでも「不足を前提」とする餓鬼の世界とつながる心。そういう人には目には見えなくても餓鬼がぞろぞろついて回る。

その餓鬼がそばから福分を奪うので全然良くならない。

 

私は修行をして間もなく師匠から餓鬼がこれでついて回らなくなるという印と真言を教えてもらったけど自分が貪っていては同じことなのです。

霊は同じ心のものに寄って行くんですから。

施餓鬼をすると餓鬼がついてこなくなる。何故なら施す心だから。

餓鬼と真逆の心です。

だからよくなる。身の回りが変わる。餓鬼の世界から出る。

大森先生の施餓鬼で良くなるのもそういう構造だと思う。

施餓鬼すると自分のなかの不足のこころが除かれるからよくなるんですね。

 

施餓鬼は善行ですが善行の業報つまり良いカルマはそんなに早くは来ない。

カルマは蔵識に異熟が定着して発現するので時間がかかる。

心が変われば即座に変わる。「三界唯心」です。

施餓鬼してもそんな心が不足のまま、貪りのままなら同じこと。

良い変化は迎えられない。

 

これは餓鬼の心だなと思う御祈祷は受けない。

 

本当のこと言っても耳で聞き心で流して理解しない。

むさぼりでいっぱいだから。

以前、やってきて

「人がうらやむ豪華な暮らしがしたい。超リッチになりたいんで聖天様でお願いしたい」という人がいたけど講員なるのすら断った。

 餓鬼のにおいがプンプンする感じ。

「あなた、当の私がそんな人のうらやむ生活とは程遠いのだから・・・それは私じゃ到底無理ですよ。」と言ったら、即座に納得して、よその聖天霊場にいくといって帰られた。

私も行者のハシクレですからそんなものを目指して生きてはいないんだけど、それがわからない。

人も自分とみんなだと思うんだね。

そういう方の心の構造は皆同じ。

 

以前、ある住職さんがもうやたらめったらニュースに出たような不幸な事件をおっかけて方々供養たのんでくる信者さんがいるけど…どうなんでしょう?と伊矢野先生に訊いたという。

「それはエゴの供養だね。たぶん、なんかが欲しいんでしてるのだから本当の供養じゃないね。」と即座にいわれたという。

良いことしても自分の心が貪りの餓鬼じゃあだめなんです。