霊狐がいう荼枳尼の話 昨日いただきました。
「荼枳尼は噉食という。
心の不浄を喰らい
身の悪業を喰らい
良からぬ一切を喰らうのが荼枳尼だ。
以て歳厄 月厄 日厄 時厄を除く。
稲荷は福神の顔
荼枳尼は解厄神(厄除け神のことらしい)の顔
滅罪は荼枳尼
生善は稲荷
故に閻魔八眷属の随一となって衆生の悪業を摧く。
荼枳尼は地獄から来るのだぞ。
だから世福ばかり祈らず、滅罪こそ祈れよ。
祈るもの心に邪があれば獣のように食いちぎってでも取るぞ。
きつい神じゃ。
人はそれを崇罰というがさにあらず。
それがまことの荼枳尼の利生じゃ。
おかみ(飯縄明神のこと)も荼枳尼じゃという輩がおるな。
それを敢えて言うなら天狐がおかみがこと。
地狐が荼枳尼だ。」と霊狐はいう。
だから同じ荼吉尼天でも豊川様のようにまるきり稲荷としてまつるのと荼枳尼のまま祈るのでは違うのだと思う。
稲荷ナイズした方がお優しいのでずっと拝みやすいです。