いろいろな修行者を見てきた。
僭越ながら、結論的に思うのは一番肝要なのは熱心に修行するということ以上に、その人間がどこまで円満な人間なのかどうかということだ。
いかに熱心であっても柔和さのないものは駄目だ。
例えば武芸者になるなら強いことが大事だろう。
円満よりも。
修行というイメージは時として柔和さのかけらもない世界のことと勘違いする。
仏道は柔和を先とすべきだと思う。
それがそのまま強さでないといけない。
柔和なままでは修行ができないならその人は修行にはむかないのだ。
どんな俊烈な修行をしてもそうだと思う。
抜き身の刃ではダメ。
人を噛むオオカミのようなものを野に放つために修行をさせるわけじゃない。
名刀は抜かずして魔を払い、邪気を切る。
それが本物だろう。
そこを目指さないといけないのではなかろうか。