最近思うのは、ただ社会不適応なだけなのに、自分はスピリチュアルな世界の人間とか精神世界の人なんだとか思う人がいますが・・・どうなのかと思う。
「霊に頼られてるんです、だから得度して救ってあげたい。」
無用の考えです。
もう生活もボロボロ。ずっと失業中。家族に負担にしかならない毎日をおくっている。
好きな本だけ読んで瞑想したりして働かず、それが修行だとか思っている。
これは試練だとか今が苦難の時なだけと踏んでいる。
そういう勢いで「得度」とか言う人いるけど絶対無理。
霊なんかどうでもよい。まず自分を救いましょう。
先に精神治療してくださいというような方もある。
極めつけは自分は選ばれた人とか思いこむ。誇大妄想です。
NLPのリフレーミングや図地反転を誤ってとらえそこなうとそういう重症な人になる。
自己肯定できるから本人は楽だろうけどね。
だから思うんです。自己肯定も善し悪しだね。
世の中が嫌になって得度したいという方に、前にある大徳が言われた言葉を紹介しましたよね。
「どこも娑婆ですよ。」
これ本当です。
お坊さんの世界なんてある意味、娑婆の最たるもの
娑婆でちゃんと生きられない人の生き残れる世界は…知る限りどこにもないと思う。
社会で機能している世界にはね。
霊感だの予知能力だの放置しておけばどんどんエスカレートして病状悪化するから、
プロでもない自称霊能者とは霊の話は一切しない。
SNSでも対話ではそういう話はしない。
否定も肯定もしないで。○○ですよねとかいわれても
「ああ、そうなんだ?」「ああ、そう。」でおしまい。
時にもうまったく知らない人が霊のことは共通了解みたいに言ってきますが全部無視です。
共感しない。
盛り上がらないようにはずしています。
エスカレートしないようセーブします。
なぜなら本人の病気や思い込みの助長になる可能性大なので。
不幸なのは霊のせいじゃない。
よからぬ霊がいるにしてもあんたが不幸だから同調して寄ってきているだけ、同じ雰囲気があうからね。霊はそういうとこに集まる。でも原因じゃない。
臭いものおいておくとハエがたかるのと同じ。ハエが来るから臭くなるわけじゃない。
少なくともアンタに助けて欲しいからとかじゃないと思いますよ。
そういう人に助け求めたって無駄だということは死んだ人だってわかる理屈だもの。
本当に救いを求める霊はそういう人のとこにはいきません。