聖天信仰は難しい信仰という。
聖天様には好き嫌いがあるという。
簡単に言うと聖天様に好かれる人というのはまず聖天様を好きな人だ。
じゃあ好きになればご利益くれるのか?
それでこれでもかとお金や色々なものお寺に持っていく人もいます。
それでいいのか?
そこは少し違う。
それは好きなふりをするので好きなのじゃないでしょう。
聖天様なんて大根や甘いお菓子に目がない「がんぜない神様」ですよ。
それは権力者や金持ちにまとわりついてもみ手しておべんちゃらいうようなもの。
がんぜない神様にそういうのは通用しない。
そういうのは逆にうっとういしぞ!と嫌われるほうだ。
ご利益とかとは関係なく聖天様を好きになる。
恋愛にちょっと似てる。
収入とか、社会的地位だの学歴なんか関係なく好きになる。
ステータスから言えば聖天様は諸天善神の中でも前科者みたいなものです。もとはといえば魔王だもの。荼吉尼天や鬼子母神も同じようなものですね。
だからもう元魔王だとかどうとか関係なく条件なく好きということ。
祈願なんかなくても好きでお参りする。
逆に嫌われるのはウソのある生き方してる人。
奇麗な顔して心で舌を出している人。
そういうのは気に入らない。
化けの皮はがして痛い目にあわせてやろうと思うのが聖天様だ。
そういう怖さはある。