きのうの宿曜の質問電話
この方は占い師ではないのだが
「学ぶほどにどんどん疑問や質問が出てくるんです。」それが悩みとのこと。
「そうですとも。それが当たり前です。あなたは正しい!それが学ぶということです。本の一冊や二冊読んでわかったと思っている。それでは本当のことは何にも分らないです。」
と答えた。
実は質問自体には答えなかったが・・・この人の気持ちはよくわかる。
初心者の質問が必ずしも浅いレベルとは限らない。
むしろそこにこそ極意に到る問題が隠れているのはよくあることです。
比叡山にいた天台僧時代の道元禅師は「人間本来仏と同じ」という天台本覚の基礎に疑問があった。
だれでも天台僧なら前提としてこの観念があった。
でも道元さんはそう思わなかった。
「だったら何故仏法を修行するんだ?」
仏教の法話だってあっさりそうだよね~みたいに思っている人は上っ面撫でておしまいの人だ。
道元さんのこの悩みに三井寺の碩学公胤僧正は「それには学問的な答えはある。だがそれは今はやめておこう…」とあえてそれを言わず、栄西禅師の建仁寺へ行けと勧めた。
公胤さんもまた通り一辺の学問的な答えに満足せず求道の心を持ち続けた方だ。
だから道元さんの気持ちがわかるのだ。
私は古参の弟子の質問には「それはアンタはなぜだと思う?」と聞くことにしている。
聞けば教えてもらえる。
そんな風に思うのはそれが初心者のしるしだ。