金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

共業は集合無意識のカルマ

共業(ぐうごう)という言葉がある。

大地震や戦争のように皆が大きな災いに飲まれる業を言う。

地震の無料イラスト | フリーイラスト素材集 ジャパクリップ

共業は集合無意識の呼ぶ災いだ。

集合無意識とは多くの人の念の集合体のことです。

例えば人種差別なら人種差別の激しい土壌にはそれが定着している。

そしてそれが行った悪しき行為に対する業報は機が熟すにしたがってやがてある。

この災いはフィールド中心に起こるので「私は差別反対だ」と言っても何かしらその業報が起きれば巻き込まれる可能性はある。

それは「自業自得」の仏教の業論に違背するのでは?と思いがちだが、例えばその社会の人々とつながっていれば同じ船に乗っていることになるから巻き込まれる。つまり業を共有しているから無関係では済まない。

つまり反対・賛成は別にしてその異熟はある程度共有されてくる。

それが起きるのはなぜか?阿頼耶識の世界はつながっているからなのだ。

ゆえに理趣経に説くように菩薩・勝慧者は衆生が彼岸につくまで正覚に入らないのである。皆が悟らないなら真実の悟りはないと考える。共業の考えだ。

大菩薩は個々の悟りは暫定的なものだと知っている。

個々の悟りはより大きな業の前には不確かなものだ。

ゆえに個の悟りは実は無色界への転生を意味するに過ぎない。長い時間の果てに輪廻は再開する。それは阿羅漢と言えども共業の影響をうけないということがないからだ。

したがって個々の悟りは浅く、集合無意識レベルでの悟りでないといけないというのが大乗の考えということになる。

集合無意識レベルの悟りがあるなら業報もある。

それを共業という。

仏教的に言えば大きな災いは共業だ。今回もそうだと思う。

所以に傲慢を戒め、自然環境を大切にしないといけないと切に思います。

むやみに森を切り崩し自然の生き物を殺すなどしてはいけない。