金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

和歌と陀羅尼 本居宣長

紫式部はその昔和歌を詠んで雨を降らしたと言います。 

日蓮さんは「紫式部のようなみだらな女が和歌読んでさえ雨が降るのだ。法華経よんで雨が降らぬわけがない。」と酷評していますが一方で和歌の力は認めている。歌を詠む平安貴族のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

国学の祖ともいうべき本居宣長は国学者の常で神道一辺倒の考えで仏儒の二教を排するものと思いがちですが実はそのようではなく、深く仏教に理解を示していたことは残念ですがあまりというかほとんど知られていません。

本居宣長は

「和歌ノ一道ヲ思ヒトクニ、散-乱鹿-動ノ心ヲヤメ、寂然閑静ノ
徳アリ、又言スクナクシテ心ヲフクメリ、惣持ノ義アルベシ、惣
持ト言ハ即陀羅尼也、我朝ノ神明ハ、オホクハ仏菩薩ノ垂跡、応

身ノ随一辺、素蓋鳴尊、ステニ出雲八重ガキノ三十一字ノ詠ヲハ
ジメ玉ヘリ、仏ノ語ニコトナルベカラズ、天竺ノ陀羅尼モ、タダ
其国ノ人ノコトハ也、仏コレヲ以テ陀羅尼ヲ説玉ヘリ、コノユヘ
ニ、一行禅師ノ大日経ノ疏ニモ、随方ノ詞ミナ陀羅尼トイヘリ、
仏モシ我国ユ出玉ハハ、タダ我国詞ヲ以テ、陀羅尼トシ玉フベ
シ、惣持ハ本文字ナシ、文字惣持ヲアラハス、何レノ国ノ文字力
惣持ヲアラハス徳ナカラン云云、大日経ノ三十一品モ、ヲノツカ
ラ三十一文字ニアタレリ」(群書摘抄)という言葉を残している。

上の文で本居は和歌と陀羅尼は相通じるものと考えていたことはよくわかります。

さらに「我朝ノ神明ハ、オホクハ仏菩薩ノ垂跡、応身ノ随一辺」の語に彼は本地垂迹説を認めていたことが読み取れます。

まさしく近世の神道思想は本居宣長によって起きたと言っても過言ではなく、その言質を探れば、のちの「神仏分離令」や「国家神道」などのおよそ大和の国らしくない宗教政策の登場は思いもよらぬことだったと思います。

むしろ宣長の攻撃対象は当時の忠や孝などの基盤になっていた朱子学などの漢学だったようです。

本居宣長から習合神道系の弟子が知られていないのが残念です。

あるいは出たのかもしれないが思想史の注目に値しなかっただけかも。

本居宣長・研究してみたい人です。