法華経の信仰はとかく法華経でなくては駄目だという人が多いけど法華経そのものの中に「もし衆生あって信受せざらん者には、
まさに如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし」(嘱累品)
とあります。
法華経は難解難入であって誰もが理解できる容易に教えではない。
あるいはほかの教法によってもよいといわれているのです。
法華経以外はすべて駄目などとは言いません。それは法華経の精神ではない。
法華経はそういう懐の深い教えです。
日本天台宗の祖伝教大師は遮那業と止観業に分けて密教コースと法華経コースを作りました。これは中国の天台宗には無かったことです。
今も中国天台宗の国清寺では密教はありません。
伝教大師様には「余の深法」の最たるものが密教という認識があったのでしょう。
この2コースの在り方は五祖智証大師(天台寺門宗の祖)が顕密併修を唱えるまで続きます。
智証大師の時代に到ってどちらのコースも両方学ぶようにしたそうです。
※智証大師
しかし止観業と遮那業がなくなったわけではありません。
相互の教えの基礎を知るべきというの智証大師の御本意でしょう。
天台宗は八宗兼学ともいわれ、諸派もみな総合仏教の立場ですが、それも法華経の精神によるものです。