講員にならない人の祈祷は原則重い祈願は引き受けないというとケチの様ですが・・・
それは信仰を本人が望むか否かの線引きです。
どういうことかというと・・・
実際そういう人のことはかわいそうだから勝手に拝んどけと思ってもうまく届かないんですね。
それが拝むとわかる。
地蔵菩薩本願経に大事なことが書いてあります。
人のために祈ってもその功徳は七割は自分に残ると。
だから向き合ってもらえない方は三割なんですね。
別に地蔵さんだけじゃなくそういうもの。
平たく言えば御利益の効き目もそういうことになる。
例えば信仰に無関心な御身内の祈願は頼まれたところで3割しか届かない。
諸仏の慈悲と言えども受ける人がいてこそ、親切の押し売りはない。
けちなんじゃないんですよ。祈祷で動くような報身仏はあくまで皆さんのアクセスを待つ集合無意識ですから信仰のないところに仏の働きようは無いのです。