諏訪明神の狩猟神の性格を表すもう一つの行事がカワズ狩りです。
春先冬眠中の蛙を氷の下から出して矢で射って神前に供える。
もともと諏訪神は蛇神という。
蛇だから蛙は好物なんでしょう。
この行事、動物愛護団体から厳しく苦情が来るらしい。
反対する人には実力で邪魔する向きもあるという。
確かに生き物を殺すことは「神」の現代の宗教的イメージからそぐわないと思う人は多いでしょう。
これに対し神社側は伝統行事ですからの一点張りだという。
https://www.java-animal.org/topics/2011/02/01/2517/
だが、原初の神はそういう全てをはぐくむ存在ではないのです。
我々人間以味方してくれる存在だったのだろう。狩猟神などというものはまさにそうだと思います。
そういう神は世界各地にいた。時には敵部族を倒すことも祈ったに違いないと思いますね。
そのため究極的には神は先祖であり子孫を守るというイメージを持つものも多い。
動物を先祖にする思想もある。トーテミズムというものですね。
例えばコモド島に住む巨大な爬虫類・コモドオオトカゲは島の人々からは先祖として敬われ、大切にされているんです。
彼らは口に細菌性の毒があり危険な動物。
でも島民は殺したりしない、家に上がってこないように高床式の家を作ってはいますが。
むしろ危険な動物ほどパワフルに子孫である部族を守ってくれると考えるのが自然な発想かもしれません。
カワズ狩りも蛇をトーテムとする縄文人の名残かもしれません。
余談だが動物愛護の明確な対象は哺乳類・鳥類・爬虫類までで両生類である蛙は入っていないのです。
最近は動物愛護法が重くなり、最高5年の懲役も科せられる。
私はこれを大いに歓迎しているが、蛙は一般には歴史の中では良くも悪くも長くムシなどの類と同じ感覚の扱いだったと思う。
一応、害虫も食べてくれるので稲作の益虫ならぬ益獣です。
蛙を虐殺して懲役は驚く人も多いでしょうね。これを食べる地方もあるくらいです
要はそれが人の心にどう響くかということが法律の趣旨なのだろう。
たしかに諏訪の神ももう狩猟神としての時代的役割は終わっていると思います。
生き物を殺してまで狩りの真似事はナンセンスじゃないの。
私もいまさら生きた蛙を矢で射るなど可哀そうなことしなくてもよいと思いますよ。
どうせやるならゴムの蛙でも埋めといて行ったらいいのではないでしょうか。