経験的に言って優しくすればするほど人は育たない。
私のやさしさがまちがっているのかもしれないとも思わないでもない。
温情と言っても依存させてしまうと人は育たない。
( 別に厳しければ厳しいほど良いと思わないが・・・。)
大概一人前の優れたお坊さんの師匠というのは厳しい。
とより無茶言うね。
いい例がミラレパ尊者の師匠だ。
禅宗では棒と喝が馳走だというが、実際に棒で打つのはともかくもそんなもんだ。
得度したとはいえまあ、冥土の土産程度の方には普通の信者さんと同じ扱いをしますし、最近はよほど本気でない人以外は本気で叱らない。
いってもせいぜいご注意申し上げる程度です。
だけど本気でやるならそんなんじゃ話にならない。
私の師匠は難物ではないが良い師であった。
私のような怠惰な愚物には実に申し訳ないくらいだ。
今でも弟子は失敗したなとあの世で思っているに違いない。
申し訳なく思っている。
良い師は聞かれないことは大体言わないものだ。
現代の人は「ちゃんといってくれればいいのに!」というけど、そんな言葉を聞けばおそらく鼻で笑う。師匠は生きた取扱説明書ではない。
たぶん、師匠は一種の公案なんだろうね。
人生の砥石だ。
人生に公案のないやつはダメだ。
何の道の修行にも師はあるだろう。
修行は人生の飾りじゃない。
今までの人生の枠が壊れないくらいで何の修行だろう。
それは仏道だけではなく何の世界でもそうだ。
そこを超えてきた奴だけが行ける世界がある。