よく因縁消滅しないといけないという話はありますね。
何かの病気が業によって起きているとか、お嫁にいけないのは過去世の悪因縁とか。
最近はそういうの、聞いてあざ笑うお坊さんも多いけど業というもの自体を否定したら佛教は成り立たない。
因果論の否定を仏教用語で「邪見」という。
でも「因縁」そのものをどうにかはできないんですね。ものじゃないんで。
そもそも過去の行為ですから、
それで密教では「因業不可得」といいます。
因縁を客観的にまな板の上に載せて処理するのは不可能です。そういう意味です。
だって佛教ではカルマは貴方そのものですから、
じゃあ因縁消滅は不可能?
言葉としてはよく言うけど不可能です。
達磨大師じゃないけどそれをどうにかしたいならそこへ因縁とやらを出して見せろということになる。
できるのは今できることだけ。例えば今の行いはのちの因業になる。
だから今を善く生きればおのずと未来である果報もよくなるのです。
過去の気の遠くなるような罪を除くと色々な陀羅尼がある。
宝篋印陀羅尼も尊勝陀羅尼も光明真言も大金剛輪印陀羅尼も。
それは嘘じゃない。
でも過去にさかのぼって直接カルマをどうこうはできません。
いじれるのは果報の方です。
果報の方向転換ができる。
因果には連鎖作用がある。そこをスパッと切ってしまうのです。
普通は因果の結果出てくる果報は次の因果になる。
だから手を加えないと悪連鎖になる可能性がある。
そこをスパッとやるのが陀羅尼の力です。
この原因はこれみたいなよくわからない過去世の因縁探しは基本的にしません。