この前、ある方がお身内亡くされた。
でも地方では疫病蔓延の折からお葬式に来ないでほしいという。
それでオンラインのお葬式。
でも、それ自体は思いのほか大変良かったそうです。
葬式をしている弟子に言わせるとやはり葬式は大事だと思うという。
別な宗派のお坊さんからもお葬式は唯一残された仏教との出会いの場なのかも知れないと言われた。
その意味でこの方の参加したオンライン葬式はやはりきちんとお葬式だったのでしょう。
私などは生意気に自分のお葬式はいらないなどと嘘ぶいているが・・・
それは葬式を行なう遺族がおそらくいない。
曲がりなりにも引導を渡す側の阿闍梨なのであえて葬式をしてもらわなくていい。
という二点にかかっている。
まあ、それは特殊ケースでお葬式自体は大事な区切りだ。
それは故人はもちろん、遺族にとっても一種のケジメなのだ。
だから普通ならとても大事だと思う。
死への共通了解と言ってもいい。
犬でもネコでも死ねばお別れは必要だ。
儀式を軽視する人がいるが儀式は共通了解のためのものだ。
ドイツの心理学会で日本の仏教による葬儀や年忌法要の在り方が非常に評価されたことがある。
人は故人とのつながりを三年とか七年に強く思い出すらしい。
そうした節目に法要をして故人をしのぶ。それはとても意味があるというのです。
この世で今まで頑張ってきた「命の同朋」はしっかりお見送りしたい。