日本の歴史的人物で最も尊敬できる仏教者と言えば私は聖徳太子を上げます。
「世間虚仮 唯仏是真」と聖徳太子は言われたと伝えられています。
世間は虚しく仮のもの。
確かに移いゆく世の中、価値観も変わり、人の心も変わる。そう思えば「世間虚仮」であり、何一つ当てになるものはありませんね。
そんな中で人間の心の嫌な部分、穢い部分をたびたび見たり経験してしまったりすると「人間なんて信じられないなあ…」と思うのも無理のないこと。
聖徳太子も政治改革にたずさわり国際的な日本を強く推しすすめながら、その思いを深くした人かもしれません。
しかしこの虚仮である世間と仏は本当は別物でありません。
虚仮の世間に生きる人の善意の中に仏は生きている。
よくありたいと願いながらそうは生きられぬ我々の心の中に仏はいます。
それこそが仏でしょう。
見回しても外に仏は見出せません。
そうでないなら「唯仏是真」と言ってもどこにも仏を見出すことはできないでしょう。
聖徳太子は僧侶ではありませんが日本の歴史の中でもっともよく仏教の理想を世間のために生かした人です。
真の統一国家としての日本は聖徳太子に始まると言ってもいいでしょう。
「世間虚仮」はその言葉のみ聞けば、世捨て人的に聞こえますが太子こそ人のこころの中に仏を見出しそれを強く信じた人であったと私は思います。
聖徳太子の本地は如意輪観音と言われます。しかしわが師は十一面観音だろうと考えていたようです。