神仏は無限だがゼッタイではない。
だから信仰すればゼッタイ大丈夫とかはない。
それはバカのいうことだ。
祈っても助からないときは助からない。そういうものだ。
しかしながら神仏は無尽の知恵を持っている。
だから祈る価値はあるのだと思う。
生きるための信仰とはそこつながることだ。
でも、つながるには欲得でいっぱいになった頭じゃつながらない。
欲得措いて真心でつながらないと微妙だからわかんない。
だから例えば大儲けしたいとかでギラギラしてちゃ無理だね。
例えばお金をもうけたいなら・・・
大事なことは虚栄心とか人との比較とか目的ではダメ。それは捨てること。
そんなためのお金は祈るだけ無駄。
なぜなら神仏には虚栄心や人様に自慢したい心はないからそこにはいくらお金かけて祈祷しても感応しない。
純粋にどのくらいのお金が必要なのか。
適当な額は決まっていない。3万円かもしれない、10億円かもしれない。
必要額ならそれでいい。
それでも金額で10億円下さいとかいう言い方はつながんない。
そんなの何にするんだ?といわれる。
神仏の世界にお金はない
でも自社ビル立てたいから必要経費が欲しいとかならつながる可能性はあると思う。
それが10億円以上でも。
同じく借金が100万円あっても100万円くださいは叶わない。
それを祈るなら借金返したいと祈るべきだ。
勿論それはそれが必要な段階で祈ること。
真心で神仏とつながるのが祈りであり、勤行だと思う。
あなたの祈りは果たしてつながっているか?