近代の日本産業の基礎を作った渋沢栄一氏の叔父である渋沢徳厚(三代目澁澤宗助)氏の揮毫「大聖歓喜天」
宗助の名は渋沢家当主の世襲だが普通に言うとこの人になるみたいです。
このような揮毫があるのは定めて聖天信仰があったからでしょう。
埼玉県深谷市にあった渋沢家の近隣には有名な妻沼の聖天様もありますし。
江戸時代後期の養蚕改良家。
寛政6年12月2日生まれ。今の埼玉県にあった血洗島村の名主 。群馬や長野など養蚕地をめぐって技術をまなび,安政2年(1855)「養蚕手引抄」を出版して地域の養蚕法を改良。また剣術道場練武館や寺子屋を設け子弟の教育にあたりました。明治3年12月2日逝去。77歳。誕生日に亡くなった。号は誠室。
渋沢家は東家と中家があり東家は村第一の豪農だったと言います。
江戸時代、百姓であっても日本の古き名家とはただの金持ち、土地持ちではなく文武両道にいそしみ、常に公益を持つ人であったことがうかがい知れます。
であるからこそ天尊の加護も大きかれ。
名家には名家の責任がある。
その考え方こそ本来の名家にふさわしい。
なお来年大河ドラマで渋沢栄一を描く「晴天を衝け」では渋沢宗助役は ベテラン平泉成さん( シン・ゴジラの継代総理役でした )が演じる予定。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=24349