お盆が近づいて施餓鬼の準備などしていますと、日ごろ祈祷しかしない私にもいろいろ先亡の供養などについての質問も頂きます。
わたしの修行時代のこと。
ある未亡人の信徒さんが師匠に「主人の戒名にずっと院号がないんですけど、院号って後からでもつけてもらえるものですか?」と聞かれました。
「何のためにつけるの?」
「いや、実は義父も院号ついていますし、人から院号があったほうが成仏するんだって聞いたので・・・なるべくなら主人にキチンと成仏してもらいたいからと思いまして・・・」
すると師匠は笑って
「院号と言うのは本来は〇〇院というような一院を建立するくらいの信仰の人に授けたものだから院号と言うんだよ。そうしないまでも寺や同じ檀信徒のためにに尽くすとか、そういう厚い信仰が何もないのにやたらつければ、かえって業を作るものだ。
そういう必要はない。」と言われた。
私も師の教えを守ってそう考えています。
位などで成仏が決まるわけはない。
たとえば、僧階と同じで高いからと言って高僧とは言い切れない。
僧階など低くても立派だなと思うお坊様はいます。同じことでしょう。
心配なら冥福をよく遺族が拝むことです。
院号など付けないでもそっちは届きますよ
それで「追福」というのですから。
名前で成仏するわけじゃない。