金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

私が死刑に反対しない理由 凡夫の慈悲

 

(CNN) インドの首都ニューデリーの警察は8月1日までに、殺人罪で収監され、仮出所中に逃亡した62歳の男を首都圏内で逮捕し、過去に50人以上のタクシー運転手を殺害したとする自供を引き出したと発表した。 男はインドの伝統医療の学士号を持ち、違法な腎臓移植などの犯罪に関与していた。殺害した遺体はワニが多数生息する水路に投棄していた。共犯もいたが、一連の犯行の首謀者であることを認めたという。 違法な腎臓移植は125件以上に達し、1件につき6680~9350米ドル(約71万~約99万円)の利益を得ていた。犯行は北部ウッタルプラデシュ州でも重ね、タクシーを雇った後、運転手をひとけのない場所で殺害。遺体が収容されないようワニが出没する水路に捨てていた。 不要となったタクシーの車は売りさばき、1台につき約270ドル稼いでいたという。

 

これはインドの話ですがおそらく極刑の論議はおきるでしょう。

世の中には死刑は反対だという人もいる。

仏教徒ならそうあるべきだともいう。

何故なら人には仏性があるから。

だが仏性は毒蛇や蠍にもある。

悔いることができない以上はどれだけ刑期が長くても毒蛇や蠍と同じだ。

 むしろ毒蛇や蠍の方がそうしたことが不可能なぶん、せめても致し方ない。

 

私は大概の凶悪犯でもいざ死刑となれば恐れおののき後悔し、前非を悔いると聞く。

これに対し、幸か不幸か、死刑をまぬかれ世の中に出てもすぐに同様の悪事をする人間もいる。

私は死刑は人間が人間に立ち返る最後のチャンスだと思う。

ゆえに刑は執行されなくてもその判決は必要と思います。

 

早晩死刑はなくなる方向だとは思う。

 

万一執行されたとしても、再度世間に出でて同様の被害者を出すよりは人として前非を悔い乍ら死んでいく方はるかに良いと感じています。

 

どんな悪人でもヒットラーでも殺すなと言う人もいるでしょう。

悪魔のようなルーマニアの共産主義政権であるチャウシェスク政権が倒れた時、チャウシェスクの銃殺に参加したいという志願者は多かったという。

そのすべてが私怨とは思わないし、そうした人たちを酷いや奴らだとか無慈悲な人間と非難する気は少なくともない。私はその資格もないと思っている。

 

彼らを非難する。そういう心は正直、私にはわからない。

たとえば人間の命位尊いものはないというが、それは否定はしないものの絶対の真理ではない。同じ人間だからそういうわけで、命自体はほかの生き物でも一つしかないのだ。

人間に限らない。

ただ、そう言う人間でさえ尊重する慈悲が本物なのかが信じられないのは、私に大きな慈悲がないからだといわれれば全くその通りと思う。

そこをどうこういわれても正直ないものはないのだ。

それが ある方からお叱りを受けてもいたしかたがない。

そこは抗わない。敬服するが、意見はかわらない。

心にもないきれいごということは嫌いだ。

私にはそれでは被害者や遺族はどうなるのかという大きな疑問が残る。

私のような凡夫の慈悲はそこまでだ。

 

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