「徳は孤成らず必ず隣あり」
これは論語にある言葉です。以前、福家英明 現長吏様の揮毫で色紙を頂戴いたしました。
はずかしながら私はその時までこの言葉を知らなかった。
「徳を心がける人は孤独には至らない。
かならず傍らに人の助けをうるだろう」という意味です。
この言葉を聞くたびにはなはだ徳の薄い私は反省を強いられる。
高齢化が進み孤独死する人が多い中、社会制度も考えないといけないですが
徳を施し、人や生き物にことあるごとに良かれと思うよう生きないといけないですね。
拙寺では孚事務所の飯田吉宏先生に御足労頂き小人数の義理易の講義をして頂いておりますが、毎回大きな発見があります。
義理易は占いではなく人の生き方としての易です。
「君子は占わず」で占いの書として知られる易経も真の徳ある人は易を学ぶとき占わなくても状況を易の教えで把握で知ると言います。そこを目指しますがなかなか・・・
「仏教者が易ってどうなの?仏教と違うでしょう。」と思う人もいますが、わが伝教大師は宗教の枠を超え「道心ある人を西には菩薩と言い、東には君子という」といわれました。
どちらもあるべき道を求める素晴らしい教えです。捨てる必要などない。
今こそこういう古典籍に親しみ「温故知新」に人の生き方を見出す時だと思います。
四書五経など封建主義の遺物だとしか教えない日教組教育は日本人の知的な財産をどぶに捨てさせてきた。実に残念です。
孚事務所 https://www.m-jimu.com/