人の最期は難しい。
私の師匠は夜中に寝ているあいだに虚血性心不全?で亡くなった。
急にドロンと消えてしまったようにいなくなった感じだ。
一辺、大講堂の裏で倒れていたことがあると言うがそれはかなりあとで聞いた。
こういう最後は稀だろう。
あまり突然で実感はなかったがご遺体に対面したら、言葉より泣けてきてしまいに号泣した。
父の時も飯縄でなくなったから死に目にはあっていないが、急いで行って冷たくなった父の遺体を見たときはなにかその時は抜け殻のように感じた。
涙は出なかったが、ああ、別な世界に行ったのだなという感覚は強くありました。
でも誰でもそういう日が来る。自分ももちろん。
人にっては病身でいろいろと迷惑かかるから早く死んだ方がいいなどと口にする人もいる。
今日も病気の母上を一人で見ていたが、見送ってすぐに自分もヘルニヤで苦しんでいるという方からの電話。
良くなったからそろそろ仕事を探すという。
介護離職されていたようだ。
とりあえず50台後半でこれから再就職を探すとのお話。
年齢もあるがこんな時代。難しさは言うに及ばずだ。
だが生きている以上は食わねばならぬ。
聖天様と元三大師様を信仰されているそうだ。頑張ってほしい。
結局色々見ていると人間生きていても迷惑、死んでも迷惑。
迷惑かかるのはお互い様なのだ。
もともと世間様、お互い様だ。それが人間だ。
死なない人はいない。
みみっちいことをあまり気にせずクタバルまでは図々しく生きたいものだ。