金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

サルのココナツ収穫反対運動 人間社会に動物の参加があってもいいのでは?

米国発サル取りココナツの不買運動。
欧州にも広がりを見せています。
猿にココナツを取らせるのは動物虐待だとする運動。この問題はゾウに観光客を乗せたり、日本の鵜飼い 猿の曲芸にまで考えは広がる。ひいては動物の農耕参加や運搬参加・飼育自体の禁止にまで。
私は動物が参加するこうした仕事それ自体には決して反対ではない。要は動物を日ごろどのように扱うかであると思います。
 
たとえば仮に動物実感における現代の三つのR.
 苦痛の軽減  Refinement
使用数の削減 Reduction
代替法の活用 Replacement
に準じて考えると、
サルはその生態にかんがみて適正に飼育されなくてはならない。
伝統的なものや観光に限定すべき。
ほかの方法でも取れるならそれ以外の場合はサルを使わない。
そしてそうした業者の元で猿がどう扱われているのか定期的にあるいはランダムに監視する役場は必要だと思います。
犬猫のブリーダーでも酷い人もいます。そうでない人もいます。
これは酷いブリーダーの例を挙げて犬猫飼育をすべて禁止するようなものだ。
 
人間社会の自由や平等の概念は自然界では無縁です。通用しない。
例えばヒョウはシカや猿などを食べる。これはとめられない。
まして人間と同等に権利があると考えるなら牛や豚や鶏、魚も食べてはいけないことになる。
 
この考えは短絡的に過ぎる。
動物が人間社会の中で働いていることは適度な動物の保護にもなると私は考えています。
動物を身近に知ることはとても大事だ。そうやってこそ初めて動物を理解することができる。
そうでないと逆にある程度数がいたらそれでいいから、サルにしてもあとはの農業のため駆除するなどということが簡単に行われてしまうかもしれない。
 誰も猿に関心がなければそれも起こりうる。
マザーテレサの言うように愛の反対は憎悪では無く無関心だ。
猿を知らないままなら猿がかわいそうという気持ちも出てこないかもしれない。
お猿さんを社会の一員として親しむことは悪いことではない。
ましてや何百年も肉食文化をしてきたり、狩猟をスポーツとしていくつもの鳥獣を絶滅に追い込んできた西洋から言われるのはアジア人のひとりとしては心外だ。
むしろ、この不買運動自体、高度な経済社会に守られ、朝早くから果物をもいで生計を立てたり、家畜や猿と暮らしたこともない西洋先進国の人々の貴族的傲慢としか感じられない。私はサル取りココナツ応援します。