ある方がサンスクリット語を学びたいがいいだろうか?と聞かれた。
勿論いいに決まっている。
いけないなどという理由もないし権利もない。
そもそも学ぶのはよいことだ。サンスクリット語でもフランス語でもタガログ語でも学べばいい。
ただなぜそれを私に聞くのだろうという理由にかんがみれば、あえて言うなら仏道修行に必要かということを聞かれているのだろうか?
サンスクリットに通じているのは素晴らしいことだ。
経典を原典購読したいとかいうなら必要だろう。
ただ、私のように祈ったり信仰するのにそこまでの専門知識はかならずしも必要ではない。
私自身サンスクリットのことはシロウト並みの知識しかない。
何を学ぶかは要はその人が何をしたいかによるだろう。
さらに何をしたいかによって学びの優先順位は変わってくる。
まず自分がしたいことを明確にすべきだ。