大恩ある方の御病気のお見舞いに関西にいってきました。
伊矢野先生もご一緒しました。
新幹線のなかで久しぶりに法談いたしました。
その中で法に負けるという話が出た。
要するに身にそぐなわない密教の秘法や大法を授かって却って災いになるということ。
そういうことあるといえば確かにある。
未熟なものが真剣を振り回すようなもの。
確かに法の方でこんな人に授けられてたまるか!という反発がある。
そういう場合は授けたほうにも厳しい結果は及ぶ。
だから恨まれようが。誤解されようが授けてならぬものは授けない。
それがまともな阿闍梨と言うものだと思います。
したがって受法のお誘いがあっても私自身もこの法はちょっと遠慮しようか・・・というのもある。
法は生き物です。
授かるにふさわしい相性もあれば器量もある。
なんでも知っていればいいというものでもない。
名刀を持つのはいいが手に合うのか?扱えるのかというのと一緒。