生き物の命はどんなものであれ一つですね。
人間でも芋虫でもスズメでもクジラでも。
わたしごとで恐縮ことですが・・・
常々シジミのお味噌汁を呑むにあたってこころしていることがあります。
それがシジミの身を残さず食べることです。
折角お命を頂いているのに身を食べない。ただのダシのために殺したのではあまりに申し訳ない。
何のためにこのシジミは死んだのかという思いがします。
シジミに我が身を置き換えればよくわかります。
笑う人もあるかもしれないけどね。仏教者の食事はせめてそうでなくては・・・
安楽行品を読み、十重四十八軽戒をうけながら、普段でさえ僧侶らしい戒律など一つこころしてはいない破戒無慚の私ですから。
同じようにチリメンやシラスもそうです。
よく見ると当たり前ですがお目目も口もある魚です。
一匹たりとも残しては申し訳ないです。
外にもお肉は残さないように思っています。
それでは死んだ動物に申し訳が立たないからです。
合掌して頂くべきお命です。一つしかない命を頂くのです。
仏教的に考えれば「いただきます」はそうした無数の命に対する礼儀であり感謝です。
社会的には昔からお百姓さんに感謝と言いますが売り手、買い手に優劣なし。
むろん感謝しないわけでもないが、戦前から言っているような農家に対する感謝は私には二の次のことです。