私自身は常々、霊能者ではないと言っています。ホントにそう思う。
じゃあなんで御狐さんとしゃべったりしてるんだ!?と言う質問。
当然あると思うけどね。ひょっとしてただのパラノイアかも・・・(笑)
これを言う意味は三つある。
一つは私の能力ではないのです。霊狐さんを媒介としているだけで私自身は何にも知らないのです。
二つはだから能動ではない。受動だけです。見たいものが見られるわけじゃない。
だから「わたしのこと、霊視して!」と言われても全然わからない。
あえてというなら霊狐さんに聞くほかない。
聞いても答えが必要ないと思えば一切答えません。基本答えない。
どうしても必要なことは言っていると言われている。
三つめはだから霊能のお商売は成り立ちません。
霊的な問題で祈祷すべきか否か・・・これどうなんだろう、この人どうだろう・・・と個人的に聞くことはある。こういう祈祷しろとか、結論でやめておけ・・・とかはいう。
この前のコロナ患者さんで青面金剛で祈れと言われたようなケースです。
でも理由はほとんどいわない。たとえその理由まで言われても、相手が納得できそうにない内容でないなら私も人には言わない。そういう無言の約束。
だから霊能的な要素のお仕事はまず霊狐さんがそれをすることをどう思うか訊いてみるほかないのです。
でも霊狐さんはお告げが中心になって信仰することは良くないと考えているようです。
「そのようなものは本当の信仰ではない。そうなればバカになって毎度何も考えないでお告げを鵜呑みする信仰になる。愚か者の信仰だ。」という。
私もプライベートなことやつまらぬ選択ごとを聞くと「自分で考えろ。そのようなことは知らぬ。」と言われるだけなので聞けません。
「そんなことを人間のお前がキツネの我に問うのか?我は四つ足、お前は二本足。足の分まで知恵も足らぬのか」と皮肉たっぷりに笑うことも。