「宛然無所乏 有念皆称遂 随有咸満足 」
宛然として乏しきところなし。念いあれば皆かなえ遂げん。
あるに従いて皆ことごとく満足す。
さながら乏しいところの無いように念ずるところをかなえてくださる。
ただし「有るに従いて」とあります。
有るに従いての「ある」とは可能性のあることは・・・ということだと思います。
その人の福分の中にもとよりないものは叶いません。
つまりは聖天さまと言えどもないものねだりは無理ということです。
人にはそれぞれ持って生まれた福分があります。得手不得手もあります。
仏教は運命論では無く自分の人生を努力精進によって開発できますが、それでも聖天信仰も仏教である以上、因果自体を無視できるとはいえません。
その人の特徴にしたがって人生を豊かにしてくださるのが聖天様はじめ諸天部の信仰です。
「設衆悪来侵 我悉能加護 我使如其意 住居皆吉慶 宅舎悉清浄」
たとい、もろもろの悪来たり侵さんに、我悉く良く加護をなす。
我その意の如くならしめん。住居は皆吉慶にして宅舎悉く清浄ならん。
いかなる種類の悪さであろうと一切の災いはよくこれを防いでくださるという意味です。
家内安全にして家相や風水のような家屋にまつわる不吉も皆、清浄にしてくださいます。
これに順じてよくお札を祀る方位などを気にしますが聖天様を祀ってある場所が。霊的には家の中心ですので方位は関係ないのです。ただお札を置いてあるだけではそうは言えませんが信仰があつくなるにしたがってそうなります。
「男女得英名 夫妻順和合」
子供は英名を得て夫妻は順じて和合せん。
子供は優れて名をあげ、夫婦は円満である家庭的幸福の利益を賜る意味です。
子供と夫婦関係は極めて深い関係です。
子供のことで患いあれば夫婦はなにかとギクシャクとします。
また夫婦間でたえず争いある家では子供は安心して育てることはできません。
よく夫婦間がうまくいかないので子供に期待する方もありますがこの二つは対です。
片方がうまくいかないのに片方だけと言うのは難しいことです。
人間が一番傷つくのは家庭の不調です。
夫婦。親子ともにうまくいかねばなりません。別なものではないと思います。
※長くなったので二つに分けました。後半につづく。