10年前、福家英明長吏様を東京支所の皆でお招きした際に記念にと御自ら筆をとられた色紙を賜りました。
その中の多くにこの「論語」の言葉があった。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
徳を培う人には必ずそこに徳を慕ってくる「隣人」がいるということ。孤独ではないということ。
長吏様のご葬儀は密葬でも500人も弔問においでになった。
お通夜にもかかわらず、おして御座主猊下も各山の御門跡様も見えられた。
「徳は孤ならず」です。
色紙の通りでしたね。
思うに長吏様は大変慈悲の深いお方であった。人一倍、面倒見の良い方と言われたきたお方です。私もずいぶん面倒をおかけしました。
若いころ長吏様の御自坊で晩にお食事を頂いてテレビを見ていたら大嵐に磯に釣りに行って亡くなった人のニュースが流れていた。
思わず「なんとアホな奴やなあ」と言ったら、「羽田、そんなことを言うもんではない。可哀そうやないか。」と叱られた。
家のなかに大きなゲジゲジやクモはいても箒を持って来いと言われてそっと追って逃がしてやる方でした。
「だれか誤って殺したらあかんからな・・・」とそうおっしゃって逃がした。
長吏様は60歳超えても大峰山修行の峰中先達として我々を先導されましたが、お山で怪我をされて。しかもバケツを返すような豪雨の吹きすさぶ中にも常にほかの者は大丈夫だろうか。無事についてきているか?と気を配られることを少しも休まなかった方です。
だから三日目に吉野の里で医者に診てもらったら骨折されていたのだけど。峰中で痛みは少しも感じなかったと言います。実際片手ながら豪雨の大天井が嶽山頂の岩山をグングンよじ登られたのをすぐ後ろに随行していて見ました。
峰中のリーダーとしてそれだけ気が張っていらしたのでしょう。
長吏様がお亡くなりになる少し前にお孫様が「何か思い残すこと、やり残したことはある?」とお尋ねになったら「・・・何もないな」とお答えになったそうです。
その話をしたら拙寺の信徒総代さんが
「すごいね。思い残しはないと言い切る長吏様もそうだし、お孫さんもすごい。普通、思い残すことは?なんてこと聞いたら、そんな縁起でもない!と怒られる家もあるだろうけど、さすがに覚悟の座ったお寺の会話ですね。」
人の徳と言うのは臨終に現れますね。
人間いつかはお別れです。
先日のある他宗の高僧の御最期を聞きましたがこの方もまた御立派な御最期でした。
こういう良い最期を迎えたいものです。