金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「鬼滅の刃」がヒットする理由 使命ということ

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講員さんで大はまりしている人のラインもあったので大好評のアニメ映画「鬼滅の刃」を見てきました。

 

此の中では人は「正しくあらねば」という昔から言い古されてきたテーマがさらりと言われていてそこに多くの人が魅了されているらしい。

なぜか?

それは現代の日本で誰もが知っていたその常識をもう誰も口にしなくなっているからでしょう。

現代において「勉強しろ。」とうるさく言う親はいても「人として正しくあれ。」と教える親はどれだけいるだろう。

私はよくある「子供が勉強しないんです!」「このままでは志望校に行けないんです。」と言うなげきを聞くたびに内心「ほかに子供にいうことはないのか?」と思って聞いている。そんなことは社会有益の人物になることの一助でない限りたいしたことではない。

それで「え~拝んだって頭なんかよくなんないですよ。当の私がアホですもの。」とうそぶている

 

昔はその勉強も「世のため人のため」に尽くして、尊敬を受けるに値する人物になるため以外にない。勉強しろと言わず偉い人になりなさいと言ったものだ。

偉い人と言ってもひたすら高級官僚や上場企業の社員に潜り込み、あるいは医者や教授になっておいしい生活を貪ろうとする目的ではない。

 

「世のため人のため」などと言うと支配階級の摺りこみで噴飯ものだというような「日教組」のド腐れ教育が日本を蝕んできたので今ではかえって新鮮に聞こえるのでしょう。

 

この漫画の主人公は「竈門炭治郎」と言う少年だが、今回の本当の意味の主人公ともいうべきキャラクターは鬼滅隊の炎ハシラ「煉獄響杏寿郎」

彼の家は鬼滅隊の一族で幼い折に母に問われる。

「なぜあなたは自分が強いのかわかりますか?」と。

「判りません」と言うと母は「それはその力を世のため人のために使うべき使命があなたにあるからなのです。」と教える。

 

これは今忘れられている大事なことだ。

特異な能力がなくても人は本来皆その人の本分をもって社会に尽くすべきなのだと思う。

その教育は今はない。

若い人にも世の中に志を失った大人にも是非このアニメを見て頂きたい。

「使命」それは意識したとき「志」に変じる。

この言葉は密教を学ぶ人たちには大事だ。

 

密教を正しく学べばそれは常人にはない大きな力を間違いなく手に入れられる。

だが、それは自分の欲望のために使うものではないし、したがって、それを自己の欲願成就の目的として学習することは根本的に間違っている。

密教者は使命を忘れてはいけない。

自分が何のために自分は密教を学ぶことになったのか。

なぜ自分がそれを継承しているのか。

自分はどこで何をすべきなのだろうか?

その志を思い起こさなくては・・・

 

自分には明確な動機はなくても必ずそれは御仏から与えられているはずなのです。

この「使命」というものを自らが見出し遂行することが、ひたすら購買欲をあおり続ける下品な資本主義が終焉を迎え、かわって次の時代の価値観になるものだと「新実存主義」を提唱する新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエル氏も語っている。

 

映画の副題「その刃で悪夢を断ち切れ」の悪夢とは自己の煩悩まみれをそのまま生きがいと信じている我々の妄夢ではないだろうか。