今日は弘法大師さまのご縁日です。
そこでお弟子さんにお譲りする修行大師像をお開眼しようと考えました。
天台の私が本来であるなら、弘法様のお開眼など僭越の極みですが、寺門では前にも言いましたように大師信仰が結構ありよく拝みまう。
特に中京地区では弘法様の信仰は盛んです。
さて開眼ですがどうやったらいいかと考えました。
本地は弥勒、如意輪ですのでそれで拝もうか?それなら台密にもある。
それとも30代のころ、真言の大徳からお授け頂いた大師法を修そうか?
何せ当たり前ながら天台に弘法大師法はないですから・・・
考えた挙句、許可灌頂も受けていることだし、せっかくお授け頂いた法はむしろ修した方がいいだろうからと大師法を修してみることにしました。
実は東密のなかでも中院流はそうなじみがない流儀ではない。
と言うのは私が1000座修した聖天華水供はなんと中院流と台密の混ざったみたいな法でしたので。
でも骨子は中院だった。
おそらく昔の天台宗は聖天供は普及していないで、地方などでは天台のお坊さんは多分に真言寺院から習ったこともあったのかもしれません。
昔は今ほど宗派根性の壁はなかったようです。
私が修したのは師匠に言わすと山形県の寺院由来の次第とのことでした。
なので浴油までは東密もどきでずっと修させて頂きました。
修訪中は何回か行った遍路のことがいろいろ思い起こされてきました。
そう、思えば私自身、弘法大師さまにもお世話になり育ててもらったといえなくもないわけです。
さてなんとか開眼した後、なんとメッセージがあり、大師像を迎えるお弟子さんに川崎大師様にお参りせよのことでした。
彼は弘法大師様をお祀りすることできっと新しい修行の道が見えてくることでしょう。