聖天様は我々人間に近い感情をお持ちです。
とっても人懐こい方です。情の濃い方です。
だから常に忘れてはいけない。
私の師匠はご信徒さんに「どこかに遊びに行ったら聖天様にお土産を忘れなさんな。
数はいらない、高くなくていい。自分がおいしいなと思うものを上げなさい。饅頭一つ、果物一個でも良いのだよ。」
とよくいわれた。
だけど自分の祈願本位の人は聖天様の前では必死に祈るけど、普段は聖天様なんか忘れている。
手を合わせながらも普段はどこかもっといいところないかな・・・?などとしか考えていない。
自分の信仰にも宗教にもなっていない。
だからどこかに御利益のある神様ありと聞けば、日ごろ信仰する霊場なんか忘れて、その時には千里の道も遠しとせず押し寄せる。
でもこれもその時だけです。
これって譬えが卑近ですが恋人の前でおもいっきりいい顔して、そのくせ常にどこかにもっといい人いないかな・・・?とさがしている浮気な人と同じ。
天尊はお見通しです。
うちも「聖天信仰したい」と言うけどそういうタイプの人はなんとなく態度でわかるのでお断り。
あなたはそういう浮ついた恋人がいたらその人のために親身になれますか?
聖天様が人間らしいのは、我を見て世の中を生きるおのが学びとせよという大悲菩薩の心の現れ。
だから人にも聖天様に接するように心に誠を持ち裏表なく接しないといけないという教え。
世俗にそういうのを指して聖天様は嫉妬深い怖い神様とかいうらしいがそれも我々のためです。
本々は神様なのだから、人間なんてどうであれ と言う存在でしょう。
それが聖天様が大聖と言う名を冠しながら、あえて煩悩やはげしい感情を残して我々の前に現れている意味だと思います。