行者仲間でのはなし。
お施餓鬼なんかあんまりすると餓鬼や不浄仏霊が集まっちゃうからよくないよ…という意見を聞いたことがあります。
断わっておくけどこれは施餓鬼をする行者さんについてのおはなしです。
頼んだ方のことではないので誤解なきよう。
当然、餓鬼雲集陀羅尼と言うのを唱え「法界微塵刹中の餓鬼こごとく雲集せしめんと」と観念しますから集まらなきゃ施餓鬼にならない。
勿論、うんと集めるんです。意識的に。だから集まるのは当然。
問題はきちんと供養終えて、発菩提心・三昧耶戒を授け上の世界に返せるか否かです。相手が受け取らねばそれまで。
一番ひどいのは特定の悪霊を成仏させようと呼んでしまって失敗。
自分が倒れることもある。これが精霊供養の失敗にあたる。
死ぬこともある。
「七人みさき」等はそれ。もう祟り神になっているから、おいそれは供養を受け付けない。
何が原因で恨んでいるとかはもう関係なく次々引きずり込んで怨念の集合体になったものをいう。
そこは一つには作法が如法か否かの問題。
いま一つは本人の加持力の問題。
加持力は超能力とかでなく仏とつながる境涯の問題です。これは日ごろの修養や修行次第。
仏教者としても人としても供養するに足る徳がつめて居るかどうか。
だから何でもやればいんだというもんではない。
施餓鬼系の新宗教もあるが作法が如法ではないので、ああいうのはひとえに拝む人の福徳によるんだと思います。
すごく栄える人とやる前より駄目になる人に分かれる。
インドの聖母マザーテレサは神の啓示でスラムに行って救済を行った偉人として有名ですね。
そのマザー―テレサの話を聞いて真似をしてパンを沢山籠に入れてスラムに行ったシスターがいたそうです。
たちまちスラムの人たちに襲われ、殴られ、罵られ、パンの籠は奪われ、衣類も引きちぎられて命からがら帰ってきたそうです。
生兵法大けがのもとは善行だって同じなんです。甘くない。
精霊供養の場合も修行が
ダメだと餓鬼が来ない。上げた御飯が干乾びてカビも生えない。
だれもやってきて食べないわけです。
そこにいくと大森先生は極めて如法に丁寧にしておられる。
しかも施餓鬼以外はほとんどしようと思わない。自分の在り方を自分で知って決めている。
施餓鬼一本。
餓鬼道では無く施餓鬼道ですね