何とかして! - 金翅鳥院のブログ
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上記の羽田先生のブログ記事を拝見して、先生ほどではないが、私も同様の経験をしたことがある。
大体一方的な内容が多い。
神仏の力や功徳は、神仏に対して謙虚であれば受け取ることができる。
自分を湯呑に例える。そこに我欲の古いお茶をいっぱいにしていると、いくら上から上等なお茶(神仏の功徳のたとえ)を注いでも入らないでこぼれてしまうのである。
昔ある行者から伺った話だが、自分の我欲を祈ってものすごい修行した。しかし全く感応がなかったそうである。
必死で大変だというのはわかる。
しかし、自分のご都合主義に気づくまでは、いくら拝んでも神仏はじっと見てるだけで功徳を授けてはくれないだろう。
陰隲録(いんしつろく)には、まず無心でないと願望は成就しないと記されている。ご参照いただきたい。
東洋庶民道徳 『陰隲録』の研究 https://www.amazon.co.jp/dp/4896199596/ref=cm_sw_r_u_apa_fabt1_0OTVFbPRKE0MG