聖天様の大きな御利益をもらっている人を見るとやはりお金に糸目をつけずにどんと聖天様に賭けるような人が多い。
こういうとお金さえ使えば御利益がある、大きい祈願さえすれば御利益がいただけると思いがちだがそれは全く違います。
聖天様はお金自体には何の興味もないでしょう。
要するに潔く使うことが大事なんですね。
額の大きい小さいの絶対的問題は関係ない。
いくらだろうが清水の舞台から飛び降りた気になって聖天様に一心に賭ける。
そこが大事なんでしょう。
でもお金があるから大きな祈祷にしとくか的な考えは計算や欲得ずくであって潔いといわない。
聖天様は潔い覚悟ある信仰がお好きなんですね。
お金をつかってもそろそろ様子を見て出すようなこせこせした使い方はお気に召しません。
ないならないなり、あるならある限りにおいて考えればいいことでケチ臭くチマチマした考えは聖天様の御性分には合いません。
一番お嫌いになる。
一文無しなら一文なしのまま心意気一つ無一文で向かえばそれでいい。
人間から見て宝の山も聖天さんから見れば極めてつまらぬようなものでしかないのです。