金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈願はいつまで?

あるお施主様から聖天様のご祈祷は何月までしてほしいと頼まれました。

 

以前10月までということで祈願しましたが何か思うところあって、その折来年春までと延長されました。

それから二か月 ここにきてまた運気に大きな動きがあるようでご本人も尊天の不思議なお力を感じているようです。

これは私からその方へ今朝出したメールです。

 

「一言申し添えます。
華水供は三月までとのことですがこういう状況では聖天様の祈願はいついつまでとはいわないで続けた方がいいのでないかとは思います。
 
皆様そうしています。
理由をいいます。
 
月参りは間断なく祈願することで大きな運勢を動かせます。
自分の判断で「もうこの辺でいいや」と言ってやめてしまうと再びご縁がつながりにくくなることもありますので。
 
それは信仰はあるていど任せるということが大事だからです。
ご自分の判断だけで「御加護はここまででもういらない」と思うことが浅薄でこざかしい奴と尊天に思われることもあるからです。
仏菩薩と少し異なり尊天は生きた人間的な感情をもっています。
祈願の必要・不必要はあくまでお施主様の考えるべきことではありますが、そこには御自分が尊天に耳を傾ける気持ちで判断すべきです。
 
聖天様と付き合うには生きた人と付き合う感覚がとても大事なのです。
私としてはお施主様の都合や方針が第一ですので「もう祈願はいいです」と言えば、その一言で私はすぐにでも止めますし、その折は何も申しませんが聖天様としては「これからが大事なのに・・・馬鹿なヤツ」と思うこともあるようです。」
 
 
祈願を要らないというのに行者が続けないといけないとなどというのはおかしいことです。必要な医療でも患者が要らないと言えば医師が無理強いしないのと同じ理屈です。
それはありえません。
ただ、お施主様は頭や計算で判断するのでなく聖天様のご意志を聞くようなつもりで判断いただきたいと思います。
そこまでできて聖天信者は一人前です。
聖天様はあなたのバディです。そういうつもりがないと尊天はそっぽ向きます。
たとえばこんな比喩は不敬かもしれませんが・・・
東南アジアの森林伐採などでは人とゾウさんが一緒に働いています。
でもゾウさんがそっぽ向いたら人の力じゃもう止められないです。
ゾウさんと人の気持ちが一体でないと良い仕事はできません。
 
無料写真] 象使いの少年と象の鼻に触れる男の子 - パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集