理屈で仏教なんか勉強しても判る物ではない。
空だの無だのと屁のような話だ。
ハッキリ言ってこれらは説明ではない。
字ずらを追えば堂々巡り。
表現でしかないのだ。
それを理屈だけでたどっていけばみんな幽霊のようなかすかなものになってしまう。
あるんだかないんだか・・・?と言う感じ。
般若心経だって字ずらだけで読めばそんな感じだ。
どこが有り難い?
真如はわがうちにある。
ホントは外にもある。どこにでもある。
ニャンコや庭先にいるアリンコにも。
空がそのまま真如で金剛不壊だ。別ものと思うのが分別智のはじまりだ。
そいつを見据えよう。
真如と言うものの擬態が空だ。
それを見据えるのが止観と言うものの功徳だ。