世の中には冤罪と言うものもあるからこの手の刑は慎重にしなくてはいけないのはもちろん当然だ。
しかし永山受刑者のことは措いて、殺人行為を伴う明らかな凶悪犯罪でも更生したら許されるのだろうか。
殺された人は生き返るわけではない。
そのまま忘れ去られる。
もう死んだ人間なんかより生きている受刑者の未来が大事ということだろうか。
もし、そういう考えが人権主義なら私は人権主義は大嫌いだ。
人権は生きている間だけのものか。
それでいいのだろうか。
更生したら問題はない。
もし更生のためだけに刑罰はあるというのなら、真摯にこの人間は反省したと判断されるならもう牢屋にさえいる必要はないということにならないか。
犯罪の凶悪さに対する量刑など問題ではない。
更生の態度次第でいかようにもでなる。
しかも何人殺そうともそれも問題ではないということになるのではないか。
さらに問おう。受刑者が更生したら被害者遺族は喜ぶべきなのか?
たとえ受刑者がどんなに良い人になってもそこには悲しみ苦しみ続ける遺族はいる。
だからその人がどんなに人格を磨き善良な人になっても、人間ならそれは当たり前だろう。人を殺すなどということをしたらそれだけの反省があって当然だろうとしか私は思わない。
その人間の精進を否定するわけではないが賛美するなどは絶対にできない。
・・・それでは納得いかないものがあると私は思う。
絶海の孤島に一人で住んでいるならともかくそこに社会がある以上、 私は刑罰において「人を殺すとはこういうこと」という社会的メッセージが忘れ去られるのは大いなる過ちだと思うからだ。