一生懸命信仰して拝んでいるのに功徳がみえなかったり、時に良くないことが起こったりすることはある。
人間は、何か悪いことがあるとすぐに何かと結びつけて、原因を仮定し、安心するという心理を持っている。
しかし、その原因を供養や修行に結びつけるのは早計だろう。ましてやそこで挫折すれば信仰の醍醐味は得られない。
日本の各宗派の開祖の伝記を見ると、開祖たちは様々な苦悩を乗り越えている。
泉聖天尊は、何か霊的なものによる災いに思えることは、それは祟っているのではなく気づかせるために起こしているのだと説いている。
常岡一郎先生は、全ての病気や災いは「天からの手紙」であると説いている。
それは今の行動の誤りや心得違いなどを修正するために、天からのメッセージをもらっているのだと考えるものだ。
手紙だからそれを読むことに意味がある。
生きていれば苦楽順逆、様々なことが起きる。
たとえどのようなことが起こっても、平生に信仰心を養っている人は、神仏をよりどころとして、それらを糧にしていくことだろう。
信仰は苦楽順逆を越える道である。
下記の過去ブログも参照してください。
拝んで霊験無いのが不思議
https://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2020/01/20/110311