母の位牌をもって歌舞伎をみせに連れて行きました。
私にとっては本当の分かれは49日。まだその辺に母はいると感じます。
この世の名残です。
かえりには映画「夏目友人帳」も見ました。
夏目友人帳は二部作
二話目、夏目の友人田沼にとりついた妖怪はニャンコ先生と森のなかで話しをし
ます。
様々な仲間が周囲にいるのだと知って、かの妖怪ササメは田沼をして
「しゃべるケモノか。こいつの回りは意外とにぎやかなのだな」と言う。
それに対してニャンコ先生は「にぎやかだから満たされているとは限らん」といいいます。
田沼は実際、ある共感の気持ちから妖怪ササメの憑依を許したのでした。
まさに憑霊には人それぞれの満たされぬ思い、複雑な思いがあってアンカーになっている。
これは実に重要なことです。
その思いのいかなるかを知らずに錫杖をふるい、裂ぱくの気合をかけても一時しのぎのショック療法に終わるのは加持祈祷の世界の原則です。
この作者、なかなか深いとこ突くなあと思って拝見しました。
多分そういうこと知ってるんだろうね。