必要以上に住職のプライベートに何かと介入する人がいて困るというある祈願寺の話。
個人レベルの人間関係にもあれこれ口まで出して指図がましいことまでするという。
宗教者に指図するならもう指導を仰ぐ必要もないだろうにね。
何しに来てるんだろう。
そういう人にはお寺は信仰じゃなく一種の自己実現の場なんだね。たぶん。でも健全な自己実現とは言えない。人と比較して特別な存在になりたいんだね。きっと。
どうすればいいかは簡単です。
こういう人には「そこはあんたの関わる問題じゃない。出過ぎた真似をすると出ていってもらう!」とはっきり言わないとわかんないんですねえ。
でも大概の人は私より温和で控え目な方々なのでそんなこと言えないらしい。
でもほおっておいてもそういう人は治らないんです。反省もない。
まあ一種のサイコパスもいるし。
そういうのは必ず災いのもととなる。
私は気の強い人間ではない。むしろ臆病なので大きな災いになる前にハッキリ切ってしまうんですね。でもそれでいいと思っています。
それで後悔などはしたことない。
時にはなぜもっと前にそうしなかったかという後悔はしますが。
宗教はどんな人でも受け入れないといけない?
うけいれてなんとかできるレベルならそうしますがね。
無理なものは無理。寺から出すのも説法のうち。
それを慈悲がない行いというなら、まんま慈悲がないんだでケッコウと思います。