愛染明王の本拠「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」には愛染明王の表現で「天帯、耳を覆う」という言葉がある。
きらびやかな冠から伸びた左右の布飾りが耳を覆うの意味。
愛染明王はラジャの三昧におられる。ラジャはつまり王様です。
きわめて高貴の三昧におられるお方。
くだらない祈願やつまらぬ願いはこの明王の耳には入らないという意味だそうです。
これはこの間、大森先生から聞いたお話。
だから、一般には奴僕の三昧のお不動様の方が。我々の下世話な願いを受け止めてくれるのだそうです。だから不動信仰は実際盛んだよね。
なるほどね、だから「あの人が好き。奥さんと別れさせてわたしのところへ来させてください。」なんてのは天帯耳を覆う類でしょうね。叶うわけがない。
私も拝むほどに愛染明王はなかなか難しい深秘の御仏だと思います。
恋愛成就とかより人の愛とはそもそも何なのかと言った世界に毎度誘われるような感じです。
煩悩即菩提の世界と言ってもいいですね。
私も十分わかってはいないけど愛染明王はちょっと違うんですね。
どちらかといえば法の世界を楽しむ行者向きかもしれない。
もっとも密教的。
そもそも初期の仏教は生存欲の否定から始まったという。
生存は苦也。
完全なる存在の消滅こそニルバーナ。
もう六道のどこにもいない。それが理想。
だけど愛染明王は真逆、人が愛し合い、子孫が生まれる世界がそのままに仏だ。
生命の躍動する世界。
存在のめでたき肯定。
いわば上座部のアンチテーゼだ。
昔、愛染明王信仰して上座部仏教の修行者と言う方にもあったけど、その人の中ではそこのところはどう整理されているのだろう・・・・わからない。