お地蔵様信仰の方から「女性ってなんかいけないんですか?」と聞かれました。
地蔵本願経読んでる方ですね。
確かに仏典で女性の扱いは低いんです。
よく指摘されるけど、これは時代背景ですね。
古代インドでも中国でも女性は主権が男性ほど認められていなかった。
それは事実ですね。
だからそういう立ち位置に生まれるのは困難な業の結果と考えられたのです。
だけどその当時の社会的な位置が困難なだけで女性そのものが悪いということはあるわけない。
もっとわかりやすく言えば奴隷階級に生まれた人でも、その階級に生まれたことは困難だが人としてどうかは全然別です。
王様よりも高貴な心の奴隷もいたでしょう。
天台の教えでは十回界互具と言う法華経由来の教えで立ち位置と境涯は別ものです。
人であっても地獄の衆生もいれば動物であっても仏菩薩はある。
維摩経では舎利弗が女性は良くないような発言をしたら維摩の神通力で女性にされてしまうという面白い場面があります。
そもそも地蔵自体がお釈迦様の滅後56億7千万年もの間、衆生の面倒を見てくれると言われますが、そもそも、もとは親孝行な女性です。
女性が悪いわけはありません。
女性だからこそつきせぬ母性で我々を見てくださるんでしょう。
地蔵本願経には観音や普賢よりも慈悲においては深いとかいてありますね。
大菩薩でありながら飾り気のない地蔵さまは女性ならではの思い切りの良さでしょう。
私は女性も男性もなにもかもいっしょではなく女性だからできることも大きいと思います。