この映画は劇場でも見たけど、昨日はcsでテレビ放映してました。
良い映画です。
大杉漣さん演じる神父の教誨師。残念ながら大杉さんの遺作になってしまった。
その中で生きている意味を問う死刑を待つ人々。
聖書の話などどうでもよくおしゃべりしたいだけの虚言壁の受刑者。
罪の許しを説けばついには自分を正当する材料にしてしまう受刑者。
「どんな命でも尊い」と言った説教は「じゃああんたウシや豚は食べないのか?」
「国家が法で人を殺すことの正当性はあるのか?」とやり返される。
人と動物は違う!命においてどう違う?
それは彼自身の質問にもなっていく。
私はそれがよき宗教者な在り方だと思う。
宗教者はどこまでも求道者で未完成の自覚がなければだめだ。
ふりかえりみれば何も教えることなどできない。
教える何物も持ち合わせない。
それが本当かもしれない。
私だって考えたらもっともっとお粗末だ。
ぎりぎりのなかで彼はキリスト教の教義は措いて「生きている目的などない。生きてるから今日も生きるのだ。」という言葉を放つ。
私はそこはとても共感できる。
生きている目的は自分で作るほかない。
それが生きている目的と言えば目的。
でも肝心なことは活きること自体だ。
今日お膳に出る魚や牛馬は問うだろう。
「自分の生きてきた目的はあんたに食べられることだったのか?」と
この魚は明日の自分かもしれない。そこが問えねば仏教は意味がない。