昨日、施餓鬼供養しているBさんからご連絡をいただいた。
このBさんのお知り合いのAさんは、ある難病で万策尽きた状態だったか、奇跡的に病が平癒し退院したということだった。
Aさんのための施餓鬼供養を修法していたのだが、正直なところ、なかなか力及ばずと思っていたので、吉報をいただくと素直に嬉しいと思う。それとともに仏様のお力はありがたいなと実感している。
もちろんBさんも、 A さんのために一生懸命お祈りを捧げていたのであるから、そのまごころが仏様に通じ、A さんのご先祖様のお力も加わり、ご利益をいただいたのだろう。
しかし、施餓鬼供養をすれば、すべての病が治るということはない。
拝んでも思い通りにならないこともよくあることだ。それでも、しばしば、とても不思議な体験された方の報告をいただく。
私自身は万事、仏様にお任せしているので、どのような結果になったとしても、それはそのまま受け止めている。
信仰は道具ではないので、その点はおさえておかないと、せっかく宝の山に入っても、虚しく手をこまねいて帰るだけになる。
施餓鬼供養は布施の行である。
餓鬼に対して加持した飲食を施したあと、真言陀羅尼を授け法味を施す。
分かりやすく言えば物心両面の施しである。
そして、諸餓鬼を救済したその功徳を、法界に回向をする仏道修行である。
その功徳を被って、私達にも様々な利益があるのだ。