あなたのすぐそばにいる愛犬や愛猫、時には様々な状況で関わる動物たち。実は私たちを導くため、菩薩が姿を変えているのかもしれませんよ。
【ここから頂いたメール】
私は大森先生のブログの「猫の修行」と「施餓鬼供養の功徳その92」の記事が大好きです。
うちの愛犬○○も毎日私のお経を眠りながら聞いています(老犬はよく眠るのです^^;)。
私のこんな拙いお経でも、もしかしたら○○と仏様とのご仏縁を結ぶことに少しでも役立つかもしれない…と思うとありがたく嬉しくなりました。
滅罪会も出来るだけ毎日続けております。
そもそも私は「高野山のお大師様と全国のお不動様」以外に興味のない人間でした。
お恥ずかしい話ですが当初は「准胝尊様と宝篋印塔様」お名前も初耳でもちろん信心も無く、大森先生から頂いたpdfの「お姿」も単なる「仏画と塔の写真」にしか見えず、それでも申し込んでしまった以上はやるしかないという気持ちで滅罪会に臨みました。
そのうち懺悔の内容も薄くなってお次第の棒読みを続けていてもつまらないと思い、「亡くなった親に対する恨みや悲しみ」について悲劇のヒロイン気取りの号泣の懺悔。
それを通り越すと「今でも悔しく許せない。確かに私も悪かったかもしれないが」という苦しかった経験を反芻するようになりました。そして「今だにアイツをぶっ殺したい、許さないと思う自分を懺悔します」と、深い恨みをかろうじて懺悔という形に持って行きました。
そんなこんなで滅罪会を続けているうちに、「お下がりのお水を愛犬に与えている方のお話」の記事を読み、私もうちの○○にに与えることに。
愚かな愛犬家は愛する○○が絡んで来ると、これまでの滅罪会の内容を一気に改めたのです。「お水を犬などに与えることをお許し下さる心広い准胝尊様と宝筐印塔様」に深い感謝の念が生まれ、印刷された仏画と写真が心から「有り難い仏様のお姿」に映ります。
今では滅罪会の度に「准胝尊様、宝筐印塔様、いつもお守り下さり、私の懺悔を受け止めて下さり、○○にお水まで与えて下さり心から感謝しています。ありがとうございます。」と、お次第に書かれていないことまでお伝えしてしまいます。
これは私の意見ですが、何が神仏とのご縁のきっかけになるのかはそれこそ「神仏のみぞご存知」の領域ではないかと思うのです。うちではこれまでご縁の無かった「准胝尊様と宝篋印塔様」とのご縁をいっそう深く結んでくれたのは○○でした。
もしかしたら、福岡から遠いあちらこちらのお不動様や高野山にしょっちゅうお参りに行ったことを密かに「自慢」に思っていた私よりも、実は家でお留守番をしていた犬の方が最初からずっと仏様に近い場所にいたのかも…と思った次第です。
くだらない話を長々と大変失礼いたしました。
ちなみに、私とお不動様やお大師様とのご縁を結んでくれたのは「詐欺事件に巻き込まれて警察沙汰になり、えらい目に遭った(私は被害者側)」経験です。
しかし、これだけは確実に言えます…「あの事件が無かったら私は一生高野山にも行かなきゃ神仏に手も合わせない、もちろん法事なんかもやらない」人間になっていました。いやはやホントに、何がご縁になるかは分からないものですねf^_^;。
おかげさまで事件は無事に解決しましたが、両親の遺したお金絡みの事件だったので、もしかしたら「ご先祖様の思し召し」だったのかもしれません、◎◎家の人間は私が最後ですから。