しばらくぶりに来た行者志望の女性の講員さん。しばらく体調不良でこなかった方。
でも依然と違って生臭ものも平気になってきたという。
以前は魚も食べられなかった。
本人は気が付いてないだろうが以前より瞳が大きく開いている。
これなんか入っているなあ。
お加持したら小さな狐さんだ。
この狐さんは神社のご眷属、この人に仏教でなく神社神道の修行を一緒にしてもらいたいようだ。
仏教は嫌いで何とかやめてもらいたいようだ。
神道は修験道にもあるが、真言とかとなえる神仏混交は嫌なのだろう。
でも別に悪狐とかじゃない。
仏教はしらない世界だから怖いのかも。
「まあ、どうするかね、狐と話あって決めたら」といっておいた。
別に狐に妥協する必要もないがそれは本人の決めること。
そこに私が介入するのは霊狐さんは「止めておけ」と言う。いい顔をしない。
禁止事項だ。
正直わたしもどっちでもいい。
人には縁と言うものがある。神道に縁が深いならそっちの方が本人には満足な結果を得たと感じることができるかもしれない。
別にそれならそれでいい。悪くないだろう。
私はそういう人間だ。
誰にでも唯一の絶対正しい宗教があるとか別に思っていない。
ほかに凄いものがあろうがそんなことはどうでもよい。
なぜなら、極論すれば私自身に何が本当の真理なのかなどという問題の判断能力があると思っていないからだ。
たぶん、それは私のやるものじゃないから関係ない。
ただ私は仏道なのでうちにきてイノブタ的な修行はお断りだ。
そこは頑固に曲げない。
他を認めるということと、そこに自分が加わるのは全く別なことだからだ。