金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

敬意なき平等

最近は寺で食事しても上座の人に配慮なく調味料を先に使う。

皿から料理を我先にとるというような修行者が多い。

はっきり言ってこれは修行というより常識の域だ。 

 

なげかわしいね。若い人でなく40.代50代にもなってそういうことすらわからない。

一昔前なら子供でも知っていることだ。

この者たちはガキか?と疑いたくなる。

逆に若い人でもその辺を知ってる人は知っている。

 今日もそういうことがあったので口やかましくいったが、あとで考えてつくづくバカバカしくなってきた。

 

そういえば最近家庭でもそういうことを教えない。いわないようだ。

パパがえらいわけじゃないから一番後回しと言う家庭も多い。

ママや子供優先。

子供が働き手に敬意と言うものはない。教えない。

パパでなくても、もし、ママが中心に働いているならママに敬意を払うべきだ。

働くということ、支えになるということ、それに敬意は払うこと、そのものが前時代のものとなっている。先輩や上座と言うのも同じだ。

自分たちの修行の場を継承してきた人達だ。

昨日今日来た人と同列はありえない。

 

そういう敬意なき平等な中で今の皆さん生きてきているんだね。

だから先輩も上座もクソもない。

 

でも、それは拙寺では通用しない。させない。

だから例えば上座に暴言を吐く人があれば失言や誤解であっても容赦なく追放します。

別に脅かしたりはしない。実行あるのみ。何年いようともそれは関係ない。

長くいればいるほどそんなことでは絶対駄目だと言えよう。

 

そんな恥ずかしい人間を僧侶として送り出したくないですから。

仏法の恥です。

だから口やかましく言います。

私にしてみればいうも愚かな当たり前のことだ。

今まで甘くしてきたがこれからはグッと厳しくしたい。再三言って分らなければ修行から外すほかない。

今までどれだけ拝もうが徳になっていないのなら何も評価はない。

礼儀もわきまえない人物に法を授けることは法を卑しめる罪になるからだ。

 

前にやめてもらった人が准胝独部法100万遍までやったら戻してほしいというオファーがあったがそういう問題ではない。そこが判っていない。

だから100万辺やろうが、それが1000万辺でも戻すつもりはない。