もし言われていることが事実なら、こいつは薄汚い寄生虫のような悪辣極まる女だ。
ただ受け皿になっていた母親にも極めて重大な罪がある。
この母がしっかりしていればこの腐れ外道を退けられたはずだ。母親も完全な欠陥人間だ。同情はほとんどできない。被害者である以上に直接の加害者だ。
どんな量刑が科せられるか知らないが、どうせ大した罰は与えられまい。
軽く出てくればおおかた同じことをするのだ。
この女の人生の最後が血の涙を絞るような最期であることをことを心から願う。
母親も一生悔いて生きるがいい。
私にはこういう人間に対する慈悲の心は限りなく存在しない。
僧侶ならそんなこと思っちゃダメだろう・・・という人もいるだろうが、あいにく私のどこを探してもそういう慈悲はない。
批判されても批難されてもないものはないのだ。
世界中で罵られても「ない」という事実そのものは変わらない。
むしろ、それが人間らしさのない鬼、毒蛇、獣の考えだというなら喜んで鬼にも蛇にもになろう。
「この女性も可愛そうな人だから何とかしてあげたい」と思うほどの人間の幅も力も慈悲も私にはない。でも可哀想だと思う人がいてもそれは構わない。
可愛そうと思うなら何とかしてやればいい。
私にはできない。
人さまの考えだから知らない。責めもしなければコメントもない。
私には関係がない。
私の場合はそれどころかこの女が目の前で虎にかまれて八つ裂きになってもおそらく小気味いいくらいにしか思わないかもしれない。
そもそもありもしない慈悲をあると偽るのはない以上の悪だと思っている。
一抹の慈悲があるとするならサッサと自分の悪事を懺悔して自決でもすればいいと思うのがせめてもの情けだ。腹でも斬るなら悪びれぬ良い覚悟だとみなおそう。
因みにこの女はある宗教の信者だそうだが、私はその宗教をどうこう言う気は全くない。その宗教自体は嫌いだがそれはどこもお互いさまだ。
宗教自体がどうのこうのはこの件と関係ない。
宗教を信じているから善人ではない。どこの宗教にもこういう悪人はいるだろう。
知らないだけで私の身近にもそういう人物はいないともいいきれない。
ある国では追いはぎをしなが巡礼を続ける奴もいるという。
強盗してそのお金を慈善事業に使うようなもんだ。
どういう頭脳構造だかわからないが、しょせん自分の都合のいいように考えるのが人間なのだ。
単に宗教を信じないから罪が深いとか、神仏を拝んでいるからこの人は善良などとは微塵も思ったことはない。