エヴァンゲリオン・シリーズの最終的な映画が上映されている。
私も見たがネタバレは絶対避けたいという製作者の希望を尊重し、その内容には直にかかわらないが、親と子の難しさは常に思う。本作シリーズはいくつもの複線に彩られ特出した優れた作品だが私的にはこれは親子の映画だ。
複雑怪奇な複線の方に気がとられていると何だかわからなくなるが・・・
碇ゲンドウと碇シンジの親子関係は複雑でねじくれている。
ねじくれる必要はないのにね。嫉みあう親子。
まあ、そうなってしまった責任は父親ゲンドウのほうに99パーセント以上ある。
ただ、父親と言うのも全知全能でもなんでもなく子供より先に生まれただけの悩める愚かな人間であることは子と少しも変わりはない。
だから子供が不可解な親を許せるのはヒトとしての成長の暁を見なくてはならないのだ。
母親のユイは死んでしまっていてもそういう親子はどこにでもある。
皆似た様なものなのだ。
だからヒットする。
たぶん原典は庵野総監督の親子物語なんだろう。
碇ゲンドウの容貌は彼の父上によく似ている。
庵野氏によればご尊父はある事故で身体の一部を欠損されてから世の中全体を憎んでいたという。
そういうオヤジはとりわけ面倒だ。
世の中へのストレスを息子にぶつけてくることも多い。
もともと親子は葛藤と愛情の車の両輪でできている。
親子なるがゆえに切っても切れない。それ故に悩みのたうつ人も多く見てきた。
親子関係は所詮、愛情だけでできているのでも葛藤だけでできているのでもないと知ったらだいぶ楽になるのではないだろうか。
葛藤と愛情は別ならず、ただ誰しも双方に勝手に理想を描く愚かさのゆえにそうなってしまう。それはただの理想の押し付けなのだ。
だが、それは避けられないと思うことでかえってお互いが円満にいくようにも思う。
エヴァンゲリオンを見ているとむしろその親子の相克の中で人は成長していくのだと思う。
オヤジはある意味「敵」でよい。支配的な母親もそうなる。
だがそれは必要な敵だ。
何事もない親子の中では逆にその成長は遅いかもしれない。
そう思えば親たるものはあえて「良き敵」であるべきかもしれない。